■ 被災地 支援物資搬送レポート ■

午後10時過ぎ、我々『ホットジェネレーション』のトラックは、この趣旨に賛同し、協力してくれたNPO法人『ダイアログ・ネット』のトラックと共に、神奈川県立青少年センターを出発。

少しでも早く支援物資を届けたいという想いとともに、日本では例をみない未曾有の大震災の被災地へ赴くという、心の痛む緊張感に包まれた、なんとも言いようの無い旅の始まりだった。
朝方、東北道の菅生SAで、全員が一日の始まりの身支度を終え、いよいよ今回の届け先である、石巻市立「湊小学校」へ。
途中の三陸道から見える景色で、畑に被害が及んでいる場所を確認。辺りには海はまったく見えないのに、こんなところにも津波は来たのか・・・と思っていた矢先、車がドーン! とジャンプ。
思わず手にしていた飲料水が一度跳ね上がり、そのまま落下・・。いったい何が起きたのか?と思っていると、その先でも車が跳ね上がるような段差が多数出現。通行中のどの車も、段差の影響を受けないように、ノロノロ運転が始まり、どんどん渋滞が広がりはじめる。
 出発直前、当日のボランティアスタッフと
 2t トラックで出発
この段差は、おそらく地震による亀裂等で道路に不具合が生じ、それを大至急埋めたものと思われる。
いよいよ、TV画面の向こうではない、リアルな現場に近づいてきた事を再認識。
石巻市内に入り、ほどなくして、給水に並ぶ人の列に遭遇。幹線道路脇には、散乱したゴミを脇に寄せたような光景が続く。
そしてもう少し走ると、辺りはどんどん倒壊した建物の街並みに・・・。
幹線道路を曲がった途端、街の真ん中で建物にもたれ掛かっている、大きなクルーザーの撤去現場に遭遇。
石巻市に入ると、どんどん瓦礫の街になっていく・・・・・・・・・
午前9時ちょうどに、約束の場所「湊小学校」に到着。ここでは、『チーム神戸』という、阪神大震災を機に組織化された被災地
ボランティアのエキスパートの方々に指示をいただき、動く事になっていた。
湊小学校の前の道 避難所になっている湊小学校 ゴスペルシンガーのTAEKOさんも現地入り
湊小学校の真裏の住宅や寺院、墓地には津波で押し流された車が散乱している。
津波の起きた時間、小学校の前の道は渋滞しており、車に乗っていた多数の方が犠牲に。

我々が積んで来た物資を、『チーム神戸』のリーダー・金田さんの指示のもと、体育館へ並べる。
その並べ方にも、ちゃんと規則があり、『チーム神戸』の方が考えた最良の方法である。
我々は指示されたその方法に従い、規則的な流れ作業の見事なチームプレーで作業開始・・・しかし・・・ほどなくして、その見
事な流れ作業は、体育館に集まって来た、物資を求める人達の流れで、あえなく崩れる。
「この段ボールはなに?」「あれはなに?」の質問が後をたたない。置いた段ボールは並べる間もなく、地元の人達の手でどん
どん開封され、我々は、おおまかな種別での置き場所を、辛うじて整えるぐらいしかできない状況に。
タオルなどの雑貨に混ざっていたファンシーなスポンジを見つけた男児が、「これもらっていい!?」と言って握りしめていた。
「これ気持ちい〜ぃ!」と言って頬に擦り付ける姿がとても印象的だった。きっと普段はファンシーなスポンジなんかにな目もく
れないような、悪ガキ風の男児。直後に「他にオモチャないの?」と数人の男児が寄って来た。
『チーム神戸』の金田さん(左) 搬送して来た物資を皆で運ぶ 置かれた段ボールは被災者の皆さんによって
どんどん開封されていく
出発前の約一週間、被災地の皆さんの迷惑にならぬよう、本当に必要なものが届けられるよう、どんな物資が必要か、どんなものは必要ないのか、散々真剣に調査し、協力者へも徹底してきたつもりだった、しかしここに来て実感したのは、何でも必要 なんだという事だった。この小学校の周囲を少し見ただけでも、それは容易に理解できた。みなさん、全部無くしているのだ。
避難所に来ている方々は、ほとんどが家を失ったと聞いている。たとえ家屋が残っていても、中は水浸し。とても使える物が残っている状態ではない。
どんどん運びこまれる物資、それを必要な人が必要に応じて、どんどん持って行く。その繰り返される光景で感じた事、それは、救援物資を運ぶ事は別に『善行』ではない。そりとて「微力ですが、届けさせていただきました」と言った類いの、遜った感覚のものでもない。物を無くして困っている人がいる。だから物を持っている人達から集めて届ける、極々当たり前の行為。人間の当たり前の行為なのだという事。
そんな事を思いながら、小学校では、物資搬入の他、在庫状況の把握と管理の補佐や、入口付近の足場を整えるため、近隣で放棄されたと思われる畳を集め、入口に敷き詰め整地するなどの作業を、それぞれチームに分かれて行なった。
物資が足りるなんてことは、あり得ない 近隣から、放置された畳を集める
その後、『ダイアログ・ネット』とは別れ、我々『ホットジェネレーション』は、小学校から5kmほどの、阿部さんのお宅へ物資搬送へ。このお宅は、物資に困っているご近所の在宅の方々へ、直接届くような中心的役割をしているとの事。
海苔の製品化をしいる阿部さん。ご自宅の2階部分は助かったものの、自宅裏の工場は機械が全て破損し、再開は不可能な
状態になっている。
湊小学校を出て、次の目的地に向かう車中から撮影。どこを見ても倒壊した家屋が続く。
「もう一度機械を揃えたら、1億円はかかっちまうから、もう廃業するしかないんだ」と語るご主人。
そんな話から始まり、震災当日のお話など朴訥とした口調で淡々とした語りが続く。「収まってすぐに街にでたら、 あっちこっち死体の山だったよ。でも人間ってのは慣れちまうんだな、2〜3日したら、死体見てもなんとも思わねぇんだから」
「去年のチリ津波が、もう少しだけ、ほんのちょっと大きかったら、今回の被害は、もっと抑えられたんだろうな・・・みんなどっかで油断しちまってたんだべなぁ」ご主人の話は尽きない・・・
「女川町は、街全部が壊滅しちまったよ」「ちょっと見てくかい」この言葉に促され、ご主人の車で女川町を案内してもらう事に。
 震災当日を淡々と語ってくださった阿部さん(左)
石巻から海岸線を走る。途中は、まったく津波に被害を受けていない地域が続く。まさに長閑(のどか)な風景。石巻市に到着してから5時間目にして、やっと落ち着ける風景を目にしたように感じた。
そのまま車は高台へ登り、「ここから下が壊滅した」との言葉のあと、坂を下り始めて目にした光景は、まさにこの世のものとは思えない風景が広がっていた・・・
街が全て壊滅するなんて、ハリウッド映画でしか観た事がない。だから始めはいったい何がどうなっているのか、その事態を受け入れる事が容易ではなかった。
無数の自衛隊員が黙々と作業をする中、我々を乗せた車は、瓦礫撤去のお陰で通れるようになった道を進む。ほんの少し前まで、道が瓦礫で塞がれ、通行止め地域だったようだ。 「街の半数以上は、亡くなったか、行方不明なんだ」とご主人。しかしこの惨状をみてしまうと、助かった方がいる事が、本当に奇跡とすら思えてしまう・・・。
街の全てを飲み込まれた女川町。自然の脅威はひとつ残らず奪っていった・・・・・。
いま、自分の目の前に広がっている光景は、一生忘れる事はないだろう。
否、これは伝えていくべきものなのではないだろうか。
天災が相手だと、怒るに怒れない・・・と言っている人がいた。
しかしこの光景を前に、込み上げてくるのは、只々、怒り以外のなにものでもない。
これは遠い街で起きた『他人ごと』ではなく、我々日本人全員で責任をとっていかなくてはならない、まさに『日本人ごと』であると思えてならなかった。

我々が今回石巻市に到着したのは、震災からちょうど1ヶ月後の日。その時ですら胸をえぐられるような感覚だったのだから、震災直後はどれほどの地獄絵が広がっていたのか・・・
 震災前の女川町。本当に長閑な街だった・・・
我々が今回石巻市に到着したのは、震災からちょうど1ヶ月後の日。その時ですら胸をえぐられるような感覚だったのだから、震災直後はどれほどの地獄絵が広がっていたのか・・・

今も、先の見えない状況の中で、日々を生きている数えきれない人々。
この周辺は、原発避難区域ではないにせよ、東京近郊よりも断然原発に近い地域。そこで「今」を必死に生き抜く人々。

「いま自分に出来る事」その意味を、もう一度考え直す必要を痛感した、今回の行程。

帰路についた時、震度6の余震にあった。
いまも現地の方々は、毎日のように、この恐怖と共に生活しているんだと思うと、胸が苦しくなった・・・・。

ある大学生の被災地石巻ボランティアレポート
http://s.ameblo.jp/obentobako-doooon/

最後に・・・・・
9日・10日に集まった義援金+ホットジェネレーションからの義援金について

【ホットジェネレーション事務局】
〒141-0031 東京都品川区西五反田 5-28-11-102

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